私が時制について考えるようになったのはコロナ禍の影響だとするならば、それはあまりにも平凡すぎる。
私は昔から、久々の人物に意外すぎる場所や時間に遭遇してもまったくと言ってよいほどに驚かない。
まるでそれが当然というか、事前に知っていたかのようにその状況を引き受けるのである。
どちらかというと、私が時制に興味を持ち出したのは後者の、自身の性質からの影響が大きい。
偶然出会った知人のほうは、たいそう驚いて、「ウソ!?」と興奮気味である。エンターテイメントだ。
一方の私は、平然としている。昨日も会っていたかのように「元気?」と声をかける。
全然エンターテイメントじゃない。
人間の時制によってエンターテイメントは成立する。
次に何が起こるのかわからなくて、ドキドキワクワクするのがエンターテイメント。
だとしたら、私のような性質の人間にはエンターテイメントは成立しないのだ。
私がエンターテイメントに興味がないのが、経済事情だけではないのがわかった。
それに気づかせてくれたのが、『楽しみな世界』だった。