dracom 祭典2012 『弱法師』、無事に終了いたしました。
関係者の皆様、観に来てくださった皆様、
本当にありがとうございました。
世間で所謂「名作」とされ、
文庫で簡単に手に入る戯曲の上演をするということは
こういうことなのかと実感。
どういうことかというと、
「こんな上演があり得るのか!」という驚きを含む賛辞から、
「戯曲の世界にぴったり」、
「また三島作品をやってほしい」、
「難しい」
「ちっとも戯曲にある世界を描けていない」
「ひどい」まで、
観た方の意見がとてもはっきり現れることです。
自分のオリジナル戯曲だとはじめからそういうものだという見方をされるので、
ここまで明確に意見は出てきません。
いや、もしかすると、それなりの意見が出ているのかもしれない。
ただ、なんせ世界で最も熟知しているのがわたし自身であることから、
意見を言う方も少し遠慮がちになるし、
言われる立場のわたしも何を言われても「そういう見方もあるのか」と、
観た方とは違う場所から批評を眺めているようなところがあるんだと思います。
ゆえに、言う側の感情の揺れ、言われたことによるわたしの感情の揺れ、
そのどちらもが小さい。
一方、有名な既製戯曲だと、
もっとも熟知しているのは作者(今回は三島)なので、
観客はわたしに遠慮をする必要がなくなるし、
わたしは観客と近い目線で批評を読むことになるので、
その分、わたしの感情の揺れは大きくなりました。
高評価の意見は心底うれしいし、
低評価の言葉は心臓をえぐるほど痛い。
演出家としてはこういった経験をもっと若いうちからするべきだったと思います。
20年目にして、反省。
そうやって考えれば…
日本では作劇と演出の分業が少ないので、
行き交う声のほとんどに若干の遠慮が帯びているように思えるし、
ときどき出る作品への辛辣な批判への反論には、
「遠慮というものを知らないのか!」
という意味合いが含まれている気がします。