叙情

懐かしい風景を失った人間は、死を見つめる感情に叙情する。

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舞台鑑賞について

わたしには、「わたしは観なくてもいい舞台作品」というのがある。

決してつまらない作品のことを指しているのではない。

わたしが評価せずとも誰かが評価するであろうもの、そしてわたしならではの評価が確かにあると感じられないもののことを、わたしはそう呼んでいる。

わたしが観なくてもいいものばかりが残り、

わたしが観なければならないものは短命だ。作家としての、団体としての、ときには実際の命が短命で、非常に残念である。

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没入感

『ハッピー・エンディング』ハイブリッドバージョンで、VR映像を制作。
避けて通れなかったのはブレヒト。
主人公になる体験を通じて共感を鑑賞者に提供する技術は、観る者の心身を喪失させて創られた感情で占領することにつながるので極めて危うい。これは演劇であればブレヒトの作品とそれ以降に登場した多くの創作や批評から学んだはずだ。しかしいまではVRだけでなく舞台の鑑賞においても没入感を欲望するひとが増えている。そしてその欲望に応えようと技術を磨く創作者がいる。この傾向は何を示しているのか。

 

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ブログが書けない

ブログを書けないでいるのは、その行為が面白くなってかなりの時間を費やしてしまうのが怖いから。

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じっ

「じっと」の「じっ」は、音?

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削除

過去の、ここの投稿を削除しようと思う。
残しておくことに興味が湧かないので。
今後はもっと頑張って書く。
「頑張る」って何だ?

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シャツはほしくなる

意外とシャツを持っていた。

そういうことだ。
意外と、ある。
忘れているか、あるいは思いつかないか。それだけのことだ。

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書くことについて

書くことについて考え続けてきたけれど、
いまさらながら、
それは、書き続けることだと

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時制

私が時制について考えるようになったのはコロナ禍の影響だとするならば、それはあまりにも平凡すぎる。

私は昔から、久々の人物に意外すぎる場所や時間に遭遇してもまったくと言ってよいほどに驚かない。
まるでそれが当然というか、事前に知っていたかのようにその状況を引き受けるのである。
どちらかというと、私が時制に興味を持ち出したのは後者の、自身の性質からの影響が大きい。

偶然出会った知人のほうは、たいそう驚いて、「ウソ!?」と興奮気味である。エンターテイメントだ。
一方の私は、平然としている。昨日も会っていたかのように「元気?」と声をかける。
全然エンターテイメントじゃない。

人間の時制によってエンターテイメントは成立する。
次に何が起こるのかわからなくて、ドキドキワクワクするのがエンターテイメント。
だとしたら、私のような性質の人間にはエンターテイメントは成立しないのだ。

私がエンターテイメントに興味がないのが、経済事情だけではないのがわかった。
それに気づかせてくれたのが、『楽しみな世界』だった。

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日記

読まれるつもりで書いた日記はフィクションだろうか?
カメラを向けられ、被写体になっていることを意識している自然な振る舞いと同様に、不思議なことだ。

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