今日はまだ4時間ほどあるけれど、
どうせ風呂はいって本読んで寝るくらいだから、
もう日記を書いてしまってもいいと思った。
僕の表現が孤立してしまっているような状況にあるのは
創作を開始するときに、
本気で0(ゼロ)の状態だから、
ということに気づいた。
何かを下敷きにしてつくったりすることがない。
というか、みんなそうだと思っていたのだけれど、
下敷き探しから始めるような人もいるらしい。
下敷きとは構成とか物語とかテーマとか、
そういうこと。
いや、それを批判しているわけではない。
むしろ、下敷きの跡を消せる人はうらやましいとさえ思う。
僕は影響を受けやすいから、
下敷きが見えてしまうよな表現になってしまうのだ。
創作のきっかけは、
実際に自分の周辺で起こったことや、
ドキュメンタリーなんかが多い。
前者には構成というようなものはないし、
後者は、構成(見せ方)によって左右されすぎていることが多々あるので、
テーマだけ抽出するして扱う。
何事においても僕は遠回りだ。
下敷きの使い方がうまかったら、
もっと良品を次から次へと生み出せるのに。